三俣山荘事務所

お問い合わせ 宿泊予約
  • 北アルプス 黒部源流  
  • HOME  
  • >  特集  
  • >  北アルプス奥地での重傷者レスキューの難しさ
2013 総括 北アルプス奥地での負傷者のレスキューの難しさ

2013年の黒部源流は、新しい幕開けともいえる激動の一年となりました。

以前からにわかに上昇傾向だったキャンプ人口が一気に倍増しキャンプ場はパンク、その傾向に引きずられるように売店の商品も空になってしまいました。またそれとは裏腹に、テント・装備の劇的な軽量化にともなって、以前は完全小屋泊の登山をなさっていた方々が、自炊泊テント泊にシフトされている姿も目立ちました。これらの傾向は、商売上の云々を抜きにすれば、ただ登山道を歩いて小屋に泊まろうという登山の在り方の行き詰まり感から視野を広げ得る、素晴らしい進展にも感じられます。

しかしその裏で以前には見受けられなかった遭難事故・レスキューも多発しました。自身の体力への過信、大きすぎる荷物、天候への認識不足が主だった理由です。また、2013年の黒部源流付近は、谷筋を中心に残雪量が異常に多く、そういった年の浮石の多さから足を負傷するケース、または落石事故のリスクも記憶にとどめておくべきものだったと思います。

そういった中、ここ北アルプス奥地(具体的には入山口から2日以上かかる場所)での重傷者のレスキューの難しさを皆様とも共有したく、一つの例を挙げてみようと思います。

重傷者レスキューの状況と動き

時刻 状況・動き
20日
10:00 登山者から三俣山荘受付に第一報

「双六への巻道の途中にスリップして動けない人がいる。
耳を深く裂傷しているようだ」

10:30 同上の通報をより速く受けた双六小屋が現場の状況を確認の上、三俣診療班に電話連絡

「双六診療所に医師がいないので、
登山道上の傷病者に関して意見を聞きたい」

対して三俣診療班の医師(以下三俣Dr)険しい顔つきで応対

「もう一度お聞きします。片足がしびれていて、耳から出血しているのですね。それではまず間違いなくずがい底骨折です。現場で処置できることは何一つありません。こちらにも、高山病患者が一人おり、現場でヘリを待ってもらうほかない」

三俣Drによると、下界の救命現場でもこの症状で救われる確率は低く、急変する可能性も高いという。つまり、今はしっかりしているが、ヘリが来なければ現場で亡くなってしまう可能性が高いという事だった。
他の小屋のレスキューということへの配慮もあり、
悶々と悩むも双六小屋支配人Kさん(以下Kさん)へ電話。

「せん越ながら一つだけ意見を聞いていただきたい。こちら側から見て飛騨側よりも長野側の方が視界も良くヘリが飛べる可能性が高い。可能であれば長野側に救助を要請したらどうだろうか」

Kさん

「やってみる」

その後、長野県警がフライトすることが決まるものの視界がすぐれず、事態に進展なし。しかも、午後には雨が降り出し、明日も雨だという。三俣として何が出来るか検討。ヘリが飛べなかった時のために、せめて野宿にならないよう傷病者を収容できるテントをもって出発することにした。三俣Drはとりあえずの出動は見送ったが、電話対応と緊急時の出動を約束した。
12:30 テント・ありったけの防寒着・食料・警察無線機・衛星電話等を持ち、スタッフ2人Aくん、Sくん(以下三俣Aくん、三俣Sくん)を連れて出発、途中三俣峠付近からヘリの音が聞こえる。また、県警無線より断続音声、

「数回進入したが霧のため接近不能。これより帰還…」

13:00 現場到着、草原に横たわる傷病者と、困惑する双六診療班看護師(以下双六Ns)・双六スタッフ。通りがかりの医師が応急措置を行っていた。2小屋のスタッフと双六NsAさんで手早く打合せ、テントを設営し全員で傷病者を運び入れた。
傷病者の意識清明、比較的元気、半身の麻痺は徐々に進行しており、頭痛を訴えている様子。
三俣Drに

「少しでも時間稼ぎになるかもしれない」

と持たされていた、脳圧を下げる薬、痛み止め、その他が看護師により点滴される。
この時点で、細かいことは抜きにして2小屋共同でレスキューの目処が立つまで看病することとなる。
16:00

霧雨
天気悪化 待てども待てどもヘリは来ず、そうこうしている間に当日のヘリ救助は中止。
人力搬送用の救助隊が、当日中に鏡平まで入るという。


「泊まり込みになりそうですね、我々の体力と装備では人力搬送という訳にもいかないですし。」

双六スタッフCさん(以下双六Cさん)

「そうですね、我々も過去に経験があるが良い結果は得られなかった。双六小屋としても人力搬送は出来ません。」

「それではスタッフ寝泊り用のテントを持ってこさせます。
食料も補充します。がんばりましょう。」

双六Cさん

「スタッフに看護師がもう一人いますので、
交代で看病してもらいます。」

2年前に水晶小屋で出た重度高山病患者を富山県警が薬師沢小屋まで搬送するのに付き添った私としても、人力搬送の壮絶さは身に染みている。長い道のりになりそうな事態の深刻さを思った。 私は責任者として早々に泊まり込むことを決めると、2人のスタッフにテント等を取ってくるように指示した。
19:00 三俣スタッフ現場へ帰還
うち一人の三俣A君は雪山経験者で、備品のテントが大きすぎるからと、自前のテントを貸してくれた。設営上のノウハウにも長けていて助かる。

「君たちは帰って休んでくれ。動きがあればすぐに無線する」

三俣スタッフ

「了解」

三俣スタッフは日が暮れた中を帰っていく。長い夜になりそうだ。
患者の容態は変わらず意識はあり大丈夫だと言っているが、頭が痛く麻痺も相変わらずのようだ。(点滴は続いており、脳圧を下げる薬、痛み止めはそうとうきいていたようだ)
19:30

風雨
面識のある双六Kさんも交代要員で到着。

「大変なことになりましたね、まあ、気長に頑張りましょう。」

Kさん

「そうですね。やるしかないですね。」

傷病者のいるテントは豪雨に負け浸水を始める。
すでに半日近く看病を続けている看護師に宿泊テントで休んでもらう。

「ところで下界ではどんなポジションで仕事されているのですか?」

双六Ns.Aさん

「A病院の外科です。」

「あの救急医療の有名なA病院の。
どうりで落ち着いていると思った。」

常日頃思うことだが、こういった緊急事態には必然的に不可欠な人材がついてまわる。
不思議なことだ。
20:00豪雨
強風
雨、風共にさらに強まりほぼ嵐といった中、交代要員の双六Ns.Bさんが到着。
一人看病二人仮眠という体制で交代で朝まで保つこととする。
傷病者、小康状態。
21日
5:00

霧雨
日の出とともに、当日の行動に関して現場のメンバーで話し合っていると、三俣診療班医師より連絡

「ずっと考えていたのですが、患者が小康状態を保っているのであれば、現場の環境を少々改善した上で、ヘリを待った方がいいかもしれません。人力搬送中の負担を考えると…。ちょっと検討してみて下さい。」

この時点で現場の人間として取りえる選択肢は3つあった。

①医師の言うように、現場で環境を作り出来る限りの処置をしつつ
ヘリを待つ。

②天候の回復に頼らず、人力で下山口まで搬送することを主とし、
あわよくば途中でヘリにピックアップしてもらう。

③あくまでヘリ搬送を主とし、ヘリでのピックアップに最適な条件(天候・立地・設備等)の場所まで最低限の人力搬送を行う。

辺りを見回すと、現場より一段下に小屋の備品の6人用テントを設営できそうな場所がある。私はこの時点で種々の条件から、また自らの直感からも①にすべきだと思った。その旨を双六Ns.Aさんに伝えると、意外な答えが返ってきた。
双六Ns.Aさん

「動かさない方がいいことは間違いないが、医療現場に携わる者としてこの衛生環境で看護を続ける事は出来ない。」

「しかし私は人力搬送に関わったことがあるが、それはもう壮絶なものだ。患者にかかる負担は尋常ではない。」

しばし緊張感が高まる。

双六Ns.Aさん

「ちょっと考えさせてください」

看護師はテントにこもりしばらくの時間がたった。

双六Ns.Aさん

「それが許されるなら、動かさない方がいいと思う

私は三俣に連絡し、6人用テント、防水対策品、ありったけのシュラフ、また整地用の土工具を持って来るよう伝えた。また双六に連絡して救助隊には一時待機してほしい旨を伝えた。
傷病者変わらず、進行は緩い。
9:00霧雨 三俣スタッフ、注文品をもって到着。
手早く新たな看護環境(持久戦用)を作るべく、整地を済ませいざテントを設営しようとすると、
三俣より連絡

「双六に救助隊の件連絡したがすでに出発したらしい。」

難しいことになった。
いくら山小屋支配人でレスキュー経験のある人間の話とはいえ、レスキューのプロがおいそれと素人の話を鵜呑みにするはずはない。それも、ある種の勢いをもって現場に到着する人々である。いずれかへ人力搬送になるに違いない。それではどうするか。前述の選択肢③しかないと思った。しかも下山口に近い双六ではなく、医師が存在し、また、当日翌日の天気予報から、長野・岐阜・富山の3県からフライトが狙える三俣へである。搬送中の急変に備えて、三俣Drにも出動を要請する。
10:00霧雨 医師、救助隊、双六スタッフの増援はほぼ同時に到着。
早速、三俣Dr・双六Ns・三俣スタッフ・双六スタッフ・救助隊で協議

「今までのいきさつ、傷病者の容態からみて、顛末の分からない人力搬送にかけるより、ここで安静にしてヘリを待った方が良いと思われる。」

救助隊隊長(以下隊長)

「この現場ではヘリが進入しずらい、いずれにしてももう少し広い場所もしくはいずれかの山荘に移動するべきだ。また、医師・傷病者本人の意思が聞きたい。」

三俣Dr

「動かさない方がいいのは間違いない。しかしいつまでも待てないのも確かだ。移動すると言うなら最善を尽くそう。」

傷病者への質問は医師からすることになった。
三俣Dr

「あなたは今ずがい底を骨折しており非常に危険な状態です。本来なら動かすべきではないが、この現場天候では移動せざるを得ない。移動中に様態が急変して亡くなってしまう可能性もあるが、救助を要請しますか?」

傷病者

「お願いします」

非常にはっきりとした返答であった。

「一つだけ聞いて頂きたい、普通であればこの場合、下山口に近い方へ搬送することころだが、今日の天気、またこの地域の天気の傾向から三俣に運んだ方がヘリのフライトの確率が高いと思う。どうであろうか?」

隊長

「わかりました。医師もいる事だしそうしましょう。」

当日の救助隊の方針はストレッチャーと呼ばれるレスキュー用の軽量担架に傷病者を固定し左右に3~4人ずつついて、シュリング等で確保しながら搬送するというものだった。ちなみに、双六の巻道というと穏やかなイメージをお持ちかと思うが、担架で搬送となると、トラバースが主なので斜面の上方はハイマツ、下方は切り立っていたりハイマツであったりと非常に足場がわるい。
11:00霧雨 私が先頭しての出発となった。傷病者は80㎏程の体重で思うように進まない。途中から双六のKさん、私も加わるも、道中で一番切り立った崖部で一行は限界に至った。
救助隊

「背負いにかえます。」

三俣Dr

「頭が揺さぶられる、よろしくない。」

救助隊

「運びきるしかない。」

1人100m程の交代で進行していく。傷病者の頭部は見ていられないほど揺さぶられるが気丈。
13:30

薄日曇

薄日
先程から警察無線よりヘリのスタンバイ完了の知らせが入っている所へ、現場では薄日が差し、硫黄尾根・時によっては北鎌尾根まで見えるようになってきた。

「そろそろヘリの要請どうですか?」

隊長

「ここではヘリが進入しずらい。もう少し広い場所まで行きたい。」

三俣峠まであと20~30分といったところ(通常で)にある程度の広場があり、フライト要請となった。
14:00

霧曇

待っている間に三俣スタッフが昼食をもって到着。ヘリの音が近づいてくるも燃料が重すぎてホイストによる救助に対応できないとのことで、燃料を減らす目的で周囲を20分程飛行。その後3度ほどトライするものの、いずれも直前でガスに阻まれ結局帰ってしまう。
15:00

晴曇

一行、三俣山荘まで運びきることを決意。医師、傷病者の状況を確認。麻痺の状態は思わしくないものの、依然意識は清明、はっきりと質問に答えている。
出発、手際よく交代、励ましあいつつ進む。
三俣キャンプ場上部、山荘の見える地点で天気高曇り、槍ヶ岳まで見え始める。隊長は再びヘリのフライト要請。
16:50 一行三俣山荘に到着、ロビーに布団を敷き、看病しつつヘリを待つ。
17:10 ヘリ到着、傷病者無事収容。相沢病院へと搬送された。

最後に

以上があらましです。 この一件では、現場に救急救命における対応を心得た看護師が2人もいて一晩傷病者をサポートしたこと、また医師のアドバイスが得られたこと、2小屋の土地勘・または現地の天候判断に長けた人間がいたこと、そして傷病者が非常に気丈だったことによって、奇跡的に救助に成功した訳ですが、個々の判断の難しさは想像を絶するものでした。

また、この傷病者においては比較的登山歴が深く、また発生時の状況も派手な滑落ではなく、ちょっとスリップして打ち所が悪かっただけのようです。そしてありがちな話で、発生時の事はほとんど覚えていないと語っていました。 どんな平易に見えるコースでも、奥地での登山とは気の抜けぬものだと年々認識させられます。

関連記事
雲ノ平特集
2014年総括 登山医療レクチャー・展望食堂 夜の部
夏山アルバイト募集のお知らせ
伊藤新道の歴史と現在
水晶小屋 山小屋の機能と役割
山と渓谷社より発売中 定本 黒部の山賊
黒部源流の歴史
私家版 黒部の山賊
facebookシェア
twitterシェア
google+シェア

山小屋案内

  • 三俣山荘
  • 雲ノ平山荘
  • 水晶小屋
  • 湯俣山荘
宿泊予約 特集読み物
三俣山荘事務所
  • 特集
  • ルート紹介
  • 山小屋案内
  • ギャラリー
  • グッズ購入
  • ななかまど
  • 三俣山荘事務所
ページトップへ