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雲ノ平山荘

■雲ノ平 特集 読み物:雲ノ平山荘 新築工事 初代 雲ノ平山荘

雲ノ平山荘 新築工事 『初代 雲ノ平山荘』 1/2

新しい雲ノ平山荘の話をする前に、まずは2009年に取り壊した
初代雲ノ平山荘について少しばかり話してみたいと思う。

なぜならその話を通して見る事によって山小屋の本質というものが、より明瞭に感じ取れるようになる気がするのだ。 ともあれ、初代雲ノ平山荘は実に素晴らしい山小屋だった。

事の起こりは第2次大戦の敗戦直後から数奇な運命を経て北アルプスの最奥地である黒部源流域一帯の開拓に乗り出した父、伊藤正一がその当初、まだ人跡未踏に近かった雲ノ平に足を踏み入れる事から始まる。彼はその自然美に深く感銘を受け、次第に雲ノ平を広く世に知らしめ、美しい山小屋を建てよう、という志を持つに至った。しかし、その為の環境を整えるまでには、実に気の遠くなるような長い道程を経なければならなかった。想像できるだろうか?ただでさえ当時はまだ、拠点としていた三俣小屋からの最寄の入山口が上高地という、歩いて丸二日以上掛かる遠隔地だった上に、登山用具も未発達であり、もちろんヘリコプターなどはあるはずもなく、物資輸送は全て歩荷によるものだった。言わば建築をする環境としては江戸時代よりも不便な状況と言っても過言ではないのだ。

彼はまず地域の中心的な役割をなす三俣山荘の修繕をし、次に物資輸送の目途を立てるために大町から三俣山荘まで一日(最短距離)で到達するルート、伊藤新道を拓き、伊藤新道の下の基点に湯俣山荘を建設した。更に三俣から雲ノ平までの登山道を整備した時には既に1957~8年、開拓の開始から12年を費やしていた。そこで初めて雲ノ平山荘建設が現実味を帯びるのである。正一は雲ノ平山荘建設を手掛け始めるのと前後して裏銀座コースの要衝に位置し、縦走路の安全を確保する為に不可欠であった水晶小屋の再建も開始するが、水晶岳付近の厳しい環境で完成間近の小屋を2回も台風に吹き飛ばされるなど、当時の山小屋建築はまさに試練の連続だった。ほぼ平行して行われた雲ノ平山荘の建設も当然の如く簡単に事が運ぶはずは無い。

初代 雲ノ平山荘の屋根構造

当初、正一が雲ノ平山荘建築のプランを練っていた時には、近未来的なドーム型の建物など、雲ノ平の印象の深さに引けをとらない先鋭的な建物さえをも夢想していた(実際反対する役所を説得して許可まで漕ぎ着けた)そうだが、現実には作業環境の制約上、最低限の規模、構造に落ち着くよりほかは無かった。それでも初代雲ノ平山荘は結果的にとても独創的な建築になった。最も特徴的な部分を挙げるとすればその形だろう。牧歌的な西洋の納屋を思わせる八角形の屋根、あの姿が雲ノ平の景観に見事に調和していた事は、実物見たことのある人であれば誰しもがうなずく事だと思う。ただこれは決してデザインが先行した形ではなく、正一が戦前に飛行機(エンジン)の設計者だった経験から、全く合理的に強度を出す為に考え出した構造で、垂直方向に長い柱材を使わずに、短い材料のみで筒状に組み上げる飛行機の胴体構造(モノコック)を応用したものだった。この構造を採用したのにもやはり厳しい環境ならではの理由がある。繰り返しになるが、当時ヘリコプターは無く、伊藤新道を通っても下界から歩いて二日掛かる雲ノ平にあっては木材の大半は現地調達するしかなかった。しかし森で切った木を現場まで運ぶのさえも、足場が悪く狭い登山道を経由しなければならず、長く重い材料を人力で運ぶのでは作業効率が悪すぎる上に、そもそも太い木自体があまり存在しない森林限界付近の森である。そこで正一は細かい木材の組み合わせで、雲ノ平の10mにも及ぶ積雪の加重や高山の強風にも耐えうる構造を飛行機の胴体構造に見出だしたのだ

雲ノ平山荘建設中

職人たちは、何も無い原野の雲ノ平で生活しながら、森で木を伐採し、荒く製材し、現場に運んで更に製材して乾燥させ、ようやくそこから大工仕事を始めたわけだが、実際当時の現場は相当に過酷なものだっただろうと思う。食料も潤沢には無く、高山の厳しい気象の下で、ゴム引きのテントに寝泊りしながら、ほとんど全て手道具だけで森の立木から建物を作る事など、現代に生きる者の感覚では到底計り知れないような気がする。母屋となっていた部分、幅3間(5.4m)長さ8間(14.4m)という、さほど規模の大きくない建物を作るのにほぼ5年費やしたというのだから、それがいかに厳しいものであったのかが察せられると思う。後年(今でも)正一は「あれは本当に最低限の建物だったんだ。」と事ある毎に言っていたが、後を引き継いで8年間に渡ってその小屋で暮した私の気持ちからすれば、あれほど美しい建物は他にはないように感じる。あの建物には、雲ノ平に全身で夢を託し、過酷な環境下で悪戦苦闘した父や職人たちの生身の意志が宿っていたし、そして居ながらにして雲ノ平の土地の気配を感じさせる、自然との一体感があった。だからこそ新しい小屋は、その小屋に対して恥ずかしくない物でありたい、という気持ちが私には強くあったのだ。

1961年 建設中の雲ノ平山荘

最後に、旧山荘を取り壊す直前の夏に小屋に張り出していた文章でこの項を締めくくりたいと思う。

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